金融政策と格差をめぐる論点の補足

今日は,金融政策と格差を巡る論点 | 世界経済評論IMPACTについての解説です.元記事では図表が使えず言葉だけでの説明になるため,少しわかりづらくなっています.ここでは図表も使えて字数制限もないので,少し詳しく見ていきましょう.

 

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そもそも金融政策とは?

世界経済評論IMPACTは,雑誌『世界経済評論』の執筆者を中心としたコラムニストのコラムを掲載しているページで,私も時々書いています.国際経済に関する記事が多く,著名人のコラムも読めます.毎週月曜日に記事が更新されています.

 

「金融政策と格差をめぐる論点」を書いた背景には,先進諸国で行われている金融緩和政策が格差を拡大させているという議論があります.金融政策を担当する中央銀行側は防戦に追われており,例えば,ECB(欧州中央銀行)は,Monetary policy and inequality, ECB Economic Bulletin, 2021, No.2  という記事を出しています.

 

金融政策とは,経済学の教科書では国内の通貨量を変化させることで物価や景気に影響を与える政策です.実際には,通貨量の変化は非常手段として用いられるもので,通常は金利の変化を通じて経済に影響を与える政策です.非常手段は非常時に使われるべきものですが,2010年代には非常手段が常態化しています.先進諸国では大量に通貨が発行されており,これが金融市場の機能を損ない,バブルの原因になっています.

 

金融政策を行う目的は国により様々ですが,先進諸国では物価の安定が政策目標になっています.アメリカでは物価の安定と雇用の最大化が目標になっていることから,金融政策の予測に雇用情勢が使われます.途上国では物価の安定や為替レートの安定などが政策目標になっています.これらの目標は法律で決められていることが多く,具体的な目標値を定めている国もあります.特に,物価上昇率(インフレ率)に目標値を定める,インフレーションターゲティングを採用する国が増えつつあります.

 

インフレ率の目標値は先進国では2%程度,途上国ではもう少し高い値(4-5%)に設定されています.0%が安定していいように思いますが,インフレ率の統計は経済の実態よりも少し高めの値になることが知られています(これを計測バイアスといいます).それを考慮して少し高めの値になっています.

 

◆各国の政策金利

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主要な中央銀行が設定している政策金利は上図の通りです.2種類の数字がありますが,通常は主要政策金利の数字が重要です.マイナス金利政策の話をするときには,下限金利も参照します.この2つの話はややこしいので,ここでは省略します.詳しくは,『ヨーロッパ経済の基礎知識2022』の第12章をご覧ください.

この図で重要なのは,数値がとても低く設定されており,ほとんどゼロ,またはマイナスになっているということです.20世紀には考えられないほどの低い数字で,これが住宅ローンや銀行預金の金利低下につながっています.

 

金利を低下させるとどうなるか

ここでは,金利を低下させることで経済にどのような影響を与えるのか見ていきましょう.金利は借金をした時に支払うものです.金利が低下すると,返済負担が少なくて済みますが,メリットの大きさはその人が置かれた状況によって異なります.住宅を買う予定のある人にとっては金利低下はいいことですが,賃貸で生活している人には関係ありません.

 

金利の低下は株式市場や債券市場などの金融市場に影響を及ぼします.一般的に,金利が低下すると株価は上昇しやすくなります.例外もありますが,金利が低下すると借金がしやすくなるため,借金をして株式に投資しやすくなります.日本人の感覚からは信じがたいかもしれませんが,アメリカの株高は個人が借金をして株式を買っていることも要因の一つです.株式投資をしている人は金利低下の恩恵を受けますが,投資していない人には関係がありません.

また,投資の対象は住宅にも向かいます.現在,多くの先進国では住宅価格の上昇が続いており,バブルだと考える人が増えています.金利が低下すればするほど住宅バブルは大きくなります. 

 

金利の低下は景気を下支えするといわれています.私は経済学者としてこの説を否定しますが,それだと話が進まないため,景気の下支え効果があることにして話を進めます.金利が低下すると借金しやすくなるため,企業は借金をして投資活動を行います.工場の新設や販売網・店舗の拡充,研究開発の活発化などです.これらが景気を刺激して,雇用を増やすと考えられています.雇用が増えれば,所得も増えるはずです.繰り返しになりますが,私はこの経路は存在しないと考えています.

 

つまり,低金利政策によって,株式や住宅などの資産価格が上昇する,景気が刺激されて雇用が増える,それによって所得が増える,という3つの効果があることになります.しかし,この効果がどれくらいの恩恵になるのかは人によって異なります.

 

5つの所得層

ここでは,所得別に人々を分けます.最上位層,上位層,中位層,下位層,最下位層の5つに分けて考えてみましょう.

最上位層の人々は所得で見て上位1%に入るような特別な層です.年収が数億円,数十億円という人々が含まれます.非常に高い労働スキルを活用して高い所得を得ており,資産運用も活発に行っています.

 

上位層は上位の大卒レベルの人々が入ります.平均よりも高い所得を得ており,スキルのレベルも高めです.住宅ローンなどの負債と株式や投資信託などの資産を持っています.中所得層は中程度のスキルを持っています.下位の大卒レベルや上位の高卒レベルの人々が該当します.近年は大卒の人々が非常に増えているため,大卒=エリートという図式は成り立たなくなっています.中位層の人々も住宅ローンを抱えている人がいますが,資産運用を活発に行うほどの余裕はありません.

中位層や上位層の人々は,AIなどの新しい技術によって雇用が脅かされています.新しい技術を導入するためにはコストがかかりますが,企業にとっては中位層や上位層に給与を支払うコストよりは安いため,特に経済危機になると新しい技術がどんどん導入されます.

 

下位層や最下位層の人々はスキルや給与が低く,機械やAIの導入コストの方が高くつきます.そのため,21世紀に入っても労働需要は安定しています.労働条件が厳しいなどの理由で就職希望者が少ないこともあり,この層では労働者不足が発生しています.所得は低く抑えられているため,資産運用をする余裕がありません.最下位層の人々の所得は最低賃金によって決まります.21世紀に入って先進諸国では最低賃金が上昇する傾向にあり,最下位層の所得は増えています.ただし,上の層とはかなりの開きがあります.

 

所得階層によって影響が異なる

これらの層の人々にどのような影響があるのか,雇用,所得,資産の面から見ていきましょう.

まずは雇用です.金利低下によって景気が回復すれば,企業は雇用を増やそうとします.一方で,パンデミックの影響を受けて,企業はAIなどの新技術の導入を進めていきます.この2つの効果を考える必要があります.最上位層と最下位層は雇用に不安はありません.最上位層は世界中で奪い合いの状態です.また,最下位層は新技術に代替されることはなく,景気が回復すれば人海戦術が必要になります.下位層もある程度の恩恵を受けるでしょう.

中位層と上位層は景気回復と新技術導入の両面の影響を受けます.短期的には雇用は増えるかもしれませんが,長期的には明らかにマイナスです.長期的な影響は新技術の問題なので金融政策とは関係ありませんが,逆に言うと,金融政策で助けることもできません.

 

次に所得です.ここでも最上位層には何の問題もありません.奪い合いの状態なので,今後もどんどん所得が増えるでしょう.上位層はやや所得が伸びるかもしれませんが,中位層の所得は増加しません.大学進学率の向上によってこれらの層の人々は増える一方で,新技術によって企業の採用意欲は衰えるためです.雇用を確保するためには,所得(つまり給与)を抑える必要があります.

下位層や最下位層の人々は,企業にとってコストが低いために需要が発生しています.そのため,最低賃金の上昇ペースと同じ動きをするでしょう.最低賃金は金融政策とは関係ないため,金融政策では問題を解決できません.なお,最低賃金が上がりすぎると,企業は新技術を導入しようとして,雇用が大幅に減少するでしょう.

 

最後に資産です.まずは,運用面から見ていきましょう.資産価格の上昇の恩恵を受けるのは最上位層と上位層です.それ以下の層では資産価格上昇の恩恵はありません.むしろ,住宅価格上昇によって賃貸住宅の家賃が高くなるため,マイナスの影響もあります.中位層は住宅を保有しているため,値上がりした住宅を売ることで利益が得られますが,そのような行動をとる人はほとんどいないため,ここでは考えないことにします.

借金の面から見ると,住宅ローンを抱えている最上位層から中位層までが恩恵を受けます.下位層の一部の人々も恩恵を受けますが,最下位層には関係がありません.

 

これらをまとめると,金融緩和による所得階層別の影響は下図のようになります.

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通常,金融政策と格差の問題を語るときには所得や資産を扱いますが,所得階層別に明らかな違いが見られます.最上位層は国外に移動することもできますし,人脈や社会的地位などここでは扱っていない面でも優位に立っています.彼らは金融緩和だけでなく,どんな状況でも自分に有利になるすべを知っています.

政策と経済の関係を見る際には,GDP(国内総生産)や株価などを見ますが,これらの指標に影響を与えるのは最上位層や上位層です.GDPのような集計された指数では,消費額などが大きい層が強い影響力を持ちます.株価も株式投資ができる最上位層や上位層の人々の動向によって決まるため,中位層以下の人々の生活が悪化しても株価は下がりません.「GDPを増やす政策」が望ましいのかどうかは議論の余地があるのではないかと思います.

 

政策の効果の議論では,人々を分けないで話をすることも多いために,議論の焦点がぼやけることもよくあります.細かく分けすぎても複雑になるだけですが,どのような政策であっても,恩恵を受ける人とそうでない人,逆に不利益を被る人が現れます.万人にとって役立つ政策はないため,どの層の人々を主なターゲットとするのかを考える必要もあるでしょう.
 

本日はここまで.