スウェーデンのキャッシュレス経済

 

今日は,スウェーデンで議論が進んでいるキャッシュレス経済についてです.スウェーデンでは,現金の使用がどんどん減っていて,GDPに対する比率は2%まで落ち込んでいます.下の図はリクスバンクのホームページにある現金流通額のグラフです.この10年で約4割減少しています.

 

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(出所)リクスバンクホームページ.

詳しくは,川野祐司「スウェーデンの「e-krona」と「キャッシュレス経済」」ITIフラッシュ,No. 327 を見てください.

 

スウェーデンの中央銀行はリクスバンク(Riksbank)といいます.「k」が先で「s」が後です.現在のような中央銀行としては最も古い銀行であり,現在のような形式のお札を発行した最も古い中央銀行(正確にはリクスバンクの前身が発行した)です.

 

キャッシュレスという言葉にはいくつか意味があります.最もよく使われているのは,日本でのSuicaなどの電子マネーの利用が増えて現金の利用が減る,という文脈です.北欧ではクレジットカード,デビットカード,スマートフォンやSNSによる支払いが増えており,現金の支払いが減っています.特にスウェーデンでは「Swish」というサービスがあり,個人間でのお金の受け渡しができ,お店で支払いに充てることもできます.Swishはスウェーデンの銀行などが参加して作られているシステムで,ユーザーもどんどん増えています.

 

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(出所)Björn Segendorf and Anna-Lena Wretman, "The Swedish payment market in transformation" sveriges riksbank economic review 2015:3, p.49.

 

この表で見ると,北欧は現金の流通量が少ないことが分かります.一方で,日本は突出して現金が流通しており,2016年末時点で100兆円を超えています.アジアだから,というわけでもなく,韓国は現金流通量が減っています.これは,2000年ころにクレジットカードの使用を促す政策を行ったためです.

 

電子マネーが経済にどのような影響を与えるのか,という点については,21世紀に入っていろいろな研究や議論があります.特に,金融政策に与える影響が議論の対象になっていました.スマートフォンやカードなどにチャージするタイプの電子マネーには中央銀行の影響が及びにくいため,金融政策の有効性が低下するのではないかという議論です.

 

しかしここでは,キャッシュレスという言葉を,現金をなくして電子的な通貨(ここではe-cashと呼びます)に置き換える,という意味で使います.コインやお札を廃止して,e-cashを使おうということです.スウェーデンでは,e-kronaと呼ばれており,リクスバンクでは研究が進められています.クローナはスウェーデンの通貨の名前です.昨年11月にリクスバンクの副総裁がe-kronaについての講演を行ったことで注目を集めています.

スウェーデンでは現金の使用が減っており,一部の銀行の支店にはATMや現金を置いていません.少額の支払いもカードなどで行うのが一般的です.

 

e-cashについては2015年あたりから議論が盛んになってきています.その背景には,現金と犯罪の関係,マイナス金利政策との関係などがあります.犯罪組織は履歴の残る銀行振り込みではなく現金での取引を好むと考えられています.最近ではインドで高額紙幣の切り替えが行われたり,ヨーロッパでは500ユーロ札の発行を2018年で終了することが発表されたりしています.ただし,高額紙幣をなくせば犯罪組織の取引が減るという証拠はなく,ビットコインなどの他の手段に移るだけかも知れません.

もう一つのマイナス金利政策では,現金にはマイナス金利を課すことができないことから,マイナス金利が経済に浸透しないということが指摘されています.現金がe-cashであれば,マイナス金利を課すことができるという考え方です.これは,通貨の改悪と同じことで,江戸時代に金貨の金の含有量を減らしたように,e-cashの価値を下げてインフレを起こそうという発想です.もしこのような政策を行っても,人々は貴金属などの他の商品に変えて財産を保有するので,あまり意味がありません.いずれもあまり有用な議論とは言えないでしょう.

 

その他には,現金社会は非常にコストがかかるという議論があり,検討する価値があります.現金の製作には紙資源や金属資源などを大量に消費し,エネルギーもたくさん使います.現金の輸送にもエネルギーを使い,CO2が発生します(輸送などで発生するCO2をフットスタンプといいます).お店では現金のやり取りや管理にコストがかかります.閉店後の現金の勘定や銀行への受け運び,釣銭の準備などにコストがかかります.現金社会の日本ではあまり意識されませんが,ヨーロッパでは銀行とのコインの受け渡しや両替には手数料がかかります.私たちも現金を手に入れるために銀行などに行く必要があります(経済学では革靴のコストといいます).現金を使うことによるコストはGDPの1%に達するという見方もあります.これらのコストの削減のためにe-cashを導入しようというわけです.

e-cashはビットコインなどとは異なります.ビットコインは政府が発行する通貨とは別に発行されて流通しています.ビットコインを持つか現金を持つかは個人が決められます.一方,e-cashは政府が発行します.個人はe-cashを持つしか選択肢がありません.

 

e-cashの具体的な内容については識者によって異なります.しかし,e-cashのアプリが入ったスマートフォンなどの端末を使って取引をするのが分かりやすい形です.以下では,e-cashの導入によって生じるいくつかの問題点を見てみましょう.

 

e-cashは現金と置き換えられるため,中央銀行が発行することが考えられます.中央銀行がアプリに直接e-cashを供給して,人々が使います.そうすると,一般の銀行の役割はどうなるでしょうか? 企業間の資金取引などは銀行を使い続けるかもしれません.しかし,インターネットを介してアプリがつながれば,個人は銀行に口座を開く必要はなくなります.銀行はどのような役割を果たせばいいでしょうか?

 

e-cashが入ったアプリの口座には金利を付けるべきかという問題もあります.金利を付ければ,e-cash口座は銀行口座と同じようになります.先ほどの議論で出てきたe-cashにはマイナス金利を課すこともできるようになります.ただし,マイナス金利を課せば人々は貴金属などを買うため人々は買い物に使う最低限のe-cashしか保有しなくなります.

 

e-cashが信頼されるかどうかも重要な論点です.e-cashは理論上,すべての取引で追跡が可能です.日本で現金が増えている背景には,人々が政府を信用していないことも挙げられます.e-cashをどのように設計するか,e-cashの使用をどのように促すか,などを決めておく必要があります.

e-cashはビットコインなどと同じように,ブロックチェーン技術を使ってやり取りされるでしょう.ブロックチェーンは誰でもアクセスできる共通のデータベースを指し,e-cashの支払人と受取人がe-cashの安全性をデータベースを使って確認できます.現在の所は,ブロックチェーンは非常に安全だと考えられていますが,e-cashの普及とともに攻撃が増すことでしょう.セキュリティー対策も必要になります.また,停電や端末のバッテリー切れ対策も必要です.

 

e-cashをどのように普及させるかも非常に重要です.一般に,地方の高齢者への普及が難しいと考えられています.e-cashは何らかの電子デバイスを利用します.電子デバイスの使用方法を覚えてもらうのも大変でしょう.当面は現金とe-cashの併用期間が続くと考えられます.

 

e-cashの普及には考えないといけないことはたくさんありますが,通貨の形態は時代とともに変わってきており,現在のお札やコインが永遠に続くわけではありません.世界で最も早くお札を発行した国が,世界で最も早くお札を廃止する日が来るかもしれません.

 

本日はここまで.