EUの環境政策パッケージ「Fit for 55」:排出量取引と炭素国境調整メカニズム(CBAM)

今日はEUの環境政策についてです.2023年4月25日に,Fit for 55に関する5つの政策が閣僚理事会で採択されました.

 

出所:https://ec.europa.eu/eurostat/cache/egd-statistics/

 

目次

 

 

 

「Fit for 55」とは

 

EUは2050年までに実質的なカーボンニュートラルを目指しています.「実質的な」というのは,CO2を全く排出しないということではなく,排出と森林などのCO2の吸収を相殺してゼロになるということです.

2050年はかなり先のことですので,EUは中間目標として2030年までにCO2を1990年比で55%削減するという目標を立てており,この目標を達成させるための政策パッケージを「Fit for 55」といいます.

 

EUのホームページでは,15項目が挙げられています.

  1. 排出量取引制度(EU-ETS)
  2. 社会環境基金:建設や輸送部門への補助
  3. 炭素国境調整メカニズム(CBAM):いわゆる国境炭素税
  4. 加盟国ごとの数値目標:2030年時点のCO2の削減目標設定
  5. 土地・森林利用でのCO2低減
  6. 自動車の排出基準:2035年には化石燃料車は販売禁止
  7. エネルギー部門のメタン排出削減:2030年までに2020年比35%削減
  8. 持続可能な航空燃料:バイオ燃料やエレクトロ燃料の普及
  9. 環境にやさしい船舶燃料
  10. 代替燃料のインフラ整備
  11. 再生可能エネルギー:2030年に再生可能エネルギー比率を40%以上に
  12. エネルギー効率向上:2030年までに2020年比で11.7%のエネルギー消費削減
  13. 建設部門でのエネルギー効率:2030年までに新築ビルは全てゼロエミッションに
  14. 水素ガス・脱炭素ガスの市場創設
  15. エネルギー関連の税制整備

 

Fit for 55は多くの政策が含まれた政策パッケージだとわかります.ニュースでは個別の項目が取り上げられるために,関連性が見えにくくなってしまいますが,実際には,EUはパッケージ全体として政策を進めています.全てを同時に進めるのは難しいため,緊急性が必要なものや法制化が容易なものから進めています.

 

今回はこれらの分野の中から5つの法律が採択されました.

 

(1)排出量取引制度の目標を上積み

 

EUでは2005年に排出権取引制度(EU-ETS)をスタートさせています.発電,金属の生産,石油の精製などの業界では,膨大なエネルギーが必要で,しかも,CO2などの温室効果ガスも大量に出てきます.そこで,EUはいくつかの業界に対して,EU-ETSを適用させて,CO2の発生を抑えようとしています.

 

EU-ETSは2段階になっています.

第1段階は,EUが,EU全域での1年間のCO2排出量を決めます.例えば,2021年は全体で15億7000万トンと決めています.EU-ETSの対象となった企業は,この15億7000万トンをオークションで購入します.図1では企業Aは5000トンのCO2の排出量を買っています.もし5000トンを超えてCO2を排出すると,1トン当たり100ユーロの罰金が科せられます.企業に排出の上限を課すことになるため,キャップ方式と呼ばれています.

 

図1:EU-ETSの仕組み

 

第2段階は実際の排出量の問題です.企業Aは5000トンの排出量をEUから買いましたが,実際には1年で6500トン排出しています.1500トンだけオーバーしていますので,罰金がかかります.

罰金を避けるために,企業Aは企業Bや企業Cから排出量を買います.企業Bは500トン,企業Cは1000トンの余裕がありますので,1500トンの排出量をカバーできそうです.EUには排出量を取引する市場があり,近年は排出量の価格が上昇しています.企業Bや企業Cにとっては,環境対策をしてCO2の排出を減らせば,その分利益を得られます.この方式は,排出枠を売買するため,トレード方式を呼ばれています.

 

企業Aは始めから6500トンの排出量を買っておけばいいのではないか? と思いますが,第1段階はオークションで排出量を買っています.みんなが「欲しい」となると価格が高くなるため,企業は排出量をぎりぎりだけ買おうとします.第1段階で調整できなかった分は第2段階で売買し,それでもオーバーした分は罰金になります.

 

排出量取引制度は面倒な仕組みですが,CO2の排出量を減らす効果が高いとされています.CO2の排出上限を決めて,オーバーした分に罰金,という方式(キャップ方式)では,企業AはCO2を減らそうと努力しますが,オーバーしていない企業Bと企業Cはこれ以上努力する必要がありません.
EU-ETSでは排出を減らせば転売で利益が得られる方式(キャップ&トレード方式)であるため,企業Bと企業Cもさらなる努力をしようとします.この分だけ効果が高まるというわけです.

 

新しい法律では,1:船の輸送部門が2026年までにEU-ETSの対象に加わります(MRV海運規則の改正).また,2:建設部門やトラックなどの輸送部門,ガソリンなどの燃料部門も一部対象に加わります(ETS指令の改正).

 

2010年代までは航空業界に対して,排出量を無料で配布するという特例がありましたが,新しい法律では,3:特例が2026年で終了します(ETS航空指令の改正).2030年までは一部の特例が残りますが,航空業界の負担が増えることが予想され,チケット代が高くなると思われます.現在はEU域内+イギリス+スイスを飛ぶ飛行機に適用されますが,遅くとも2027年には日本からEUのような域外の飛行機にも規制が適用される予定です.

 

また,現行のEU-ETSでは,第1段階のオークションにかけられる全体のCO2排出量が毎年2.2%減るというルールがあります.それを2024-2027年までは毎年4.3%減少,2028-2030年までは毎年4.4%減少させることになりました.産業界のCO2排出削減の努力が2倍必要になるということです.

 

(2)炭素国境調整メカニズム:CBAM

 

EU域内に立地する企業にEU-ETSを適用させると,企業は工場をEU域外に移すかもしれません.CO2を大幅に削減させるためには,多額のコストがかかり,価格競争力が低下するためです.そこで,域外に工場を移転させたり,域外の企業から安い製品を買って域内で転売することが考えられます.つまり,環境規制によってCO2の発生源がEUの外に移ってしまう恐れがあります.

 

図2 カーボンリーケージ

 

これをカーボンリーケージ(carbon leakage)といいます.リークというのは「漏れる」という意味です.EUが環境規制をしても発生源が域外に移れば,地球全体のCO2を減らすことはできません.また,EUの企業にだけ規制が課せられれば,EUの企業が不利になってしまいます.

 

そこで,EUは炭素国境調整メカニズムを進めようとしています.英語では,The Carbon Border Adjustment Mechanismと呼ばれており,CBAMと略されます.「シーバム」と発音されることが多いです.CBAMについての法律(CBAM規則)が4つ目の法律です.CBAMは5月10日に法案が成立し,5月17日に施行されています.

 

図3 CBAMの仕組み

出所:https://www.consilium.europa.eu/en/infographics/fit-for-55-cbam-carbon-border-adjustment-mechanism/

 

図3のように,CBAMと排出量取引制度(EU-ETS)はつながっています.EU域内の企業はEU-ETSによってコストを負担するため,EU域外の製品も同様のコストを負担してください,という仕組みになっています.

 

CBAMの正式な開始は2026年ですが,2023年10月から経過措置が始まります.セメント,鉄鋼,アルミニウム,肥料,水素生産,電力の6製品は,EUへ輸出する製品に含まれるCO2の量をEUに報告します.2025年末までは,お金を支払う必要がありません.

 

図4 CBAMの対象業種

出所:欧州委員会,CBAM Factsheet, p.1 :https://taxation-customs.ec.europa.eu/document/download/5245cb8b-29af-4bd7-9049-0603a49a090e_en?filename=20230510%20CBAM%20factsheet.pdf

 

EU域外の企業は,2026年からCBAM証明書(CBAM certificates)を購入する必要が出てきます.CBAM証明書の価格は,EU-ETS制度で取引されている排出量の価格を参考に決められます(CO2の1トン当たりの1週間平均価格になる予定です).EU-ETS市場で排出量が1トン当たり50ユーロで取引されているのであれば,CBAM証明書の価格も1トン当たり50ユーロになります.

 

対象製品をEUに輸出している業者は,毎年5月31日までに,前年度の輸出量をEUに申告するとともに,CO2排出量に応じたCBAM証明書をEUに提出する必要があります.CBAM証明書は事前に買っておく必要があるため,前年度の排出量はもっと早く計算を済ませておく必要があります.なお,EUでは年度は1月から12月までですので,書類をそろえる時間は十分にあります.

 

2026年に制度は始まりますが,当初はCBAM証明書の無償枠(無料枠)が設定される緩和措置も導入されます.無償枠は徐々に減少しながら2034年まで続き,2035年からは満額の購入が求められるようになります.

 

EU-ETSはCBAMよりも広い範囲の業種が含まれていますので,CBAMの対象業種が今後広がることが予想されます.今は関係ないよ,という業界も,CBAMの動向には注意が必要です.

2023年5月25日時点の排出量の価格は1トン当たり約87ユーロです.

 

図5 排出量の価格(ユーロ/1トン当たり)


source: tradingeconomics.com

 

 

(3)社会的気候変動基金

 

5つ目の法律は,社会的気候変動基金(The Social Climate Fund)の設立です(社会的気候変動基金規則).この日本語訳は仮訳です.EU-ETSからは,排出量の販売価格とETS市場での手数料が収益として得られます.これらはEUの収入になりますが,この収入を使ってEU域内に投資や補助を行います.

建物や冷暖房のエネルギー効率の向上,環境にやさしい輸送方法の普及などに資金が投じられる予定です.基金は2026-2032年までの時限措置として設立されます.基金が使えるお金は最大650億ユーロで,低所得層などへの援助にも使えるとされています.EU-ETSが普及すればエネルギー価格が高くなることが予想されますので,基金から補助金が配られることになりそうです.

 

Fit for 55の影響は?

 

今回成立した5つの法律は,長期的な気候変動対策の一環として成立したもので,気候変動から社会を守るという重要な目的があります.そのために,CO2などの温室効果ガスの排出量をEU域内だけでなく,EU域外でも減らしたいという意図も伺えます.EUが厳しい環境規制を作れば,グローバルに活動する企業に大きな影響を与えます.地域によって環境規制が異なる場合,一番厳しい規制に合わせて生産体制を見直すことが多いためです.国際的なルール作りで世界をリードしようとする,EUらしい政策ともいえます.

 

一方で,EUの環境規制は産業政策の面もあります.途上国の企業の低価格な製品を関税で排除することは国際的な批判を引き起こします.そこで,安全性や環境対策の厳しいルールを作ってそれを守らせることで,間接的にEUの企業を保護しています.また,域外の企業からの収入の一部は,域内の人々に補助金として配られます.経済政策としての面もあるということです.

 

本日はここまで.