イギリスのフラッシュクラッシュ

 

今日は,イギリスの外国為替市場のお話です.2016年10月7日,イギリス時間の深夜に,短い時間でイギリスポンドの対ドルレートが急落しました.これは,「フラッシュクラッシュ」または「フラッシュイベント」と呼ばれています.

 

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写真はロンドン塔のカラスです.ロンドン塔には6羽のカラスがいて,このカラスたちがロンドン塔を去るとイギリスの王国やロンドン塔が滅びるといわれています.実際には,6羽プラス予備の1羽のカラスが飼われていて,エサもちゃんともらっています.よく見ると,足にはタグが付いています.あまりいたずらが過ぎるとお役目をクビになるカラスもいるそうです.今回の記事とは関係はありません・・・

 

2017年1月13日に,BIS(国際決済銀行)がフラッシュクラッシュについてのレポートを公表しています.レポートは,BIS Markets Committee, "The sterling 'flash event' of 7 October 2016" です.ここでは,このレポートをもとにして,昨年の10月に何があったのかを見ていきます.

 

2016年10月7日イギリス時間の深夜のお話です.この時期はまだサマータイムが適用されていたため,日本との時差は8時間になります.0時7分3秒から0時7分11秒にかけてイギリスポンド(GBP)がアメリカドル(USD)に対して,1ポンド=1.26ドルから1ポンド=1.249ドルまでじりじりと値下がりを始めました.その後0時7分13秒にイギリスのファイナンシャルタイムズ紙(FT)からBrexit(イギリスのEU離脱問題)についての記事がリリースされると,値下がりが加速します.

 

0時7分15秒になると,1ポンド=1.22ドルあたりまで値下がりが進んだため,アメリカのシカゴマーカンタイル取引所(CME)では10秒間の取引停止措置が取られました.ここまで12秒間経っています.小数点が付いた数値なのでイメージがわきにくいですが,12秒間で4円ほど円高が進んだことと同じくらいのインパクトがあります.0時7分34秒には1ポンド=1.20ドルくらいまでポンド安が進み,0時7分41秒には1ポンド=1.1491ドルの取引が成立しています.約40秒で12円の円高が進んだイメージです.

 

この混乱はしばらく続きましたが,0時8分くらいになると落ち着きを見せ始め,1ポンド=1.20~1.22ドルのレンジで取引されるようになります.しかし,このレンジも通常の外国為替市場では考えられないほど広いといえます.0時17分ころになると1ポンド=1.22近辺での取引が増えていきます.この間,CMEでは,0時7分15秒の10秒間取引停止に続いて,0時7分29秒から2分間の観察措置,0時9分29秒から2分間の取引停止,0時11分57秒から10秒間の取引停止など立て続けに対策が実施されました(時間はイギリス時間).

 

◆犯人は?

 

BISのレポートでも,考えられる要因をいくつか挙げています.一定のルールに基づいて機械的に取引を行うアルゴリズム取引も挙げられています.アルゴリズム取引はAI(人工知能)を使うこともありますが,必ずしも使うとは限りません.また,イギリスの深夜帯はアジアの朝の時間帯に当たります.レポートではアジアの人とは言っていませんが,為替取引に慣れていない取引もあったとしています.

この2つを組み合わせると,ニュースや相場の状況からアルゴリズム取引が通常では成立しないくらいの低い価格で売りを出したところ,慣れていない人が応じてしまったために,価格下落が進んでしまった,ということでしょうか.ポンド相場はすぐに回復したため,応じてしまった人は結果的に利益を上げていますが,ポンド下落が止まらずに大きな損失を抱えた可能性もあります.

 

このようなフラッシュクラッシュは特に珍しいイベントではなく,レポートではほかに5件のイベントが紹介されています.例えば,2015年1月にはスイスフランが20分で41%上昇しています.これは,スイスの中央銀行(スイス国立銀行:SNB)が対ユーロで設定していた為替介入ラインの廃止を公表したためです.しかし,その後の20分で反動が生じて25%程度戻しています.他のイベントでも急速な動きがあった後に,比較的短い時間に戻すことが多く,今回のイベントと共通しています.

 

◆アルゴリズム取引は問題か?

 

このようなイベントでよく取り上げられるアルゴリズム取引ですが,識者によって市場を安定させるという意見と市場を不安定にするという意見があります.市場の安定化は,アルゴリズム取引があるおかげで市場の取引参加数が増えて,価格の大きな変動が抑えられるということです.市場の不安定化は,アルゴリズム取引が一斉に売りや買いに回ることで,価格が大幅に変動するということです.いずれの意見も物事の一面しか見ておらず,アルゴリズム取引は人間と同じように市場を安定化させたり不安定化させたりします.

市場に大きな問題がないときには,取引参加者の増加が市場の安定化に寄与します.一方,何か大きな問題が起きたときにはアルゴリズム取引は躊躇なく売り(場合によっては買い)の注文を出すため,価格が大きく動きます.その時々によるということです.

 

また,アルゴリズム取引とともに超高頻度取引(HFT)も問題視されます.現在は1000分の1秒単位での取引が可能であり,事業者はできるだけ取引を円滑にするために,物理的に市場に近づく戦略も採っています.こちらもインサイダー取引に関する法的な問題は提示されているものの,市場を安定化させるのか不安定化させるのか,という点についてはアルゴリズム取引と同じでその時々によります.

 

◆フラッシュクラッシュの影響

 

BISのレポートでは,今回のフラッシュクラッシュは他の市場には影響を及ぼさなかったとしています.外国為替市場には多くの人々が参加しています.直接ポンドを売買するだけでなく,スワップなどの金融派生商品でも取引があります.少し難しい話ですが,金融派生商品を保有している人は価格変動リスクを避けるための対策が必要で,特に金融機関はこまめに取引を行っています.このような為替レートの変動による金融派生商品の価格変動リスクはデルタと呼ばれており,リスク回避の方法をデルタヘッジといいます.

もしフラッシュクラッシュがイギリス時間の昼間に起きていたら,金融機関の人は対策に追われたでしょう.今回は朝起きたときには何もなかったように見えたため,対策はあまり必要ではなかったと考えられます.

 

一般に,外国為替市場は債券市場や株式市場とのつながりが強いと考えられています.もし昼間に起きていたら,これらの市場にも動揺が広がったかもしれません.その一方で,フラッシュクラッシュは近年よく発生しているため,慌てずに様子見をしておけばいいという経験も蓄積されています.

フラッシュクラッシュが起きないようにする対策は必要はありません.そもそも市場は大きく動く時とあまり動かない時があり,それぞれ一定期間持続することがあります(クラスタリングといいます).市場は時に大きく変動するものであり,経験の蓄積が慌てない正しい判断につながります.

 

本日はここまで.